鳥取県八頭郡若桜町

太田酒造場

『辨天娘(べんてんむすめ)』
太田酒造場

一粒の米に、すべてを込めて

技術から始まった蔵の系譜

太田酒造場のはじまりは、今から約120年前の1909年。酒造りの技術を磨いていた初代が、親戚の蔵で杜氏として腕をふるいながら独立を果たし、酒造業を開いたのがその始まりです。商売からではなく「酒を造る技術」から始まったという、今では珍しい成り立ちです。

平成4年には杜氏の急病により酒造りを中断せざるを得ず、10年間は他蔵で造った酒を「辨天娘」として販売する日々が続きました。しかし「やはり自分たちの手で造った酒を届けたい」との思いから、平成14年に酒造りを再開。わずか一升瓶600本からの再出発でした。

原点に立ち返り、米を丁寧に発酵させた純米酒を軸とした造りへと大きく舵を切り、その酒は少しずつ県外の酒好きたちにも届くようになっていきます。困難と向き合いながらも、誠実に酒造りと向き合ってきた太田酒造場の歩みには、ぶれない信念が息づいています。

自然と寄り添い、守られた土地で育む酒

太田酒造場があるのは、鳥取県の最南端、兵庫や岡山と接する山あいの町。周囲の95%が森林という豊かな自然に囲まれた土地は、古くから人の手があまり入らないことで、独自の暮らしや文化が守られてきました。かつては冬の豪雪で流通が断たれ、塩サバの麹漬けや漬物、干し野菜など、保存食文化が自然と発展。その名残は今も地域の味として息づいています。

標高およそ200mの場所にある蔵は、木々に囲まれた冷涼な気候で、夏の夜はひんやりと心地よく、地面に触れると地熱の違いを感じるほど。豊富な地下水は透き通るほど清らかで、井戸水をそのまま酒造りに活かしています。水田を潤すこの冷たい水は、良質な酒米づくりにも欠かせない存在。まるで“ジブリの森”のような自然に包まれた環境で、辨天娘は今日も静かに育まれています。

米づくりは信頼づくり 農家とともに育てる辨天娘

太田酒造場の酒造りは、地元・若桜町の農家との厚い信頼関係の上に成り立っています。使用する酒米はすべて町内産で、「同じ品種でも、誰がどう育てたかで味は変わる」という考えから、農家ごとに仕込みタンクを分け、ブレンドせずに出荷。そのボトルには、生産農家の名前がしっかりと記されています。

「名前が載っている以上、いい加減な酒は造れない」と五代目・太田章太郎さん。蔵は、単なる買い手ではなく、ともに品質を育てるパートナーとして、夏場のかけ流し灌漑や肥料設計などの栽培方法にも積極的に関与します。収穫後には田んぼ単位でタンパク値を分析し、条件を満たした米には精米歩合を抑えた分のインセンティブも付ける仕組み。農家の誇りとやりがいを支えながら、一粒一粒に信頼と情熱を込めて酒米づくりに取り組んでいます。

一粒も無駄にせず、米と人の物語を醸す

「お米を一粒たりとも無駄にせず、すべてを酒にする」——これは太田酒造場の揺るぎない信念です。契約農家は、哲学を持って米づくりに挑む“先生”のような存在。彼らの想いに真正面から向き合うため、蔵人たちは自ら田んぼに足を運び、月に2回の頻度で株間や葉色、茎数などを観察し、栽培の記録と分析を重ねます。

酒造りの工程は、実は驚くほどシンプル。それは、米の個性を損なわずに届けるためです。農家ごと、田んぼごとに酒を仕込み、それぞれの個性を尊重したまま瓶詰め。裏ラベルには品種だけでなく生産者の名も記し、「誰がどう育てた米か」がそのまま酒の味として表れます。

骨太で旨味のある辨天娘の酒は、ただの“飲みもの”ではありません。米と人、その背景にある物語までも飲み手に伝える「食を呼ぶ酒」として、農と醸の結びつきの深さを感じさせてくれます。

日本酒をもう一度日本人の食卓の日常に

“日本酒が、もう一度日本人の日常に戻る未来をつくりたい”と、五代目・太田章太郎さんは語ります。日々の食卓に自然と置かれるような、無理のない存在としての日本酒。冷蔵庫に入れず常温で置いておけて、開栓後も負担なく楽しめる。そんな「日常に寄り添うお酒」であることを大切に、辨天娘は醸されています。

その未来には、地域の農家の存在が欠かせません。酒米の価値を正しく評価し、価格に反映させることで、後継者や新規就農者が希望をもって田んぼに向き合えるように。最近では、移住者が一区画からでも無農薬栽培に挑戦できるよう、自社田での実験も進行中です。小さな田んぼから生まれる特別な酒が、また新たな暮らしの選択肢を支えていく、そんな循環を、辨天娘は本気で考えています。

温めることで引き立つ味わいが、若い世代にも受け入れられ始めている今、日本酒の新しい入り口が広がりつつあります。伝統を継ぎながら、あたらしい日常へ。辨天娘の挑戦は、まだまだ続いていきます。

蔵元:太田 章太郎

1982.8.8生 慶應義塾大学経済学部卒 鳥取銀行で法人融資を担当。 現在、太田酒造場の代表取締役 鳥取県若桜町で生まれる。 小さい頃から山をかけまわり、夏は川で泳ぎ、冬はスキ-をして育つ。 小規模な蔵なため継ぐことは無理かなと思いながら銀行に就職。 法人融資を担当し、頭取を目指して仕事をしていたある時、父から「帰ってくるか?」のオファ-をもらう。 こんな面白そうなことできるなら、ぜひぜひっ!と戻ることを決意。 美味しいものを食べること、飲むことが人生の中で大きな部分を占めていて、それを100年先に残せるような仕事がしたい。 2人の男児の父。 最近の趣味は「将棋」好きな言葉は『酒は人』

 

杜氏:中島敬之

1966.8.9生 鳥取県立農業大学校卒 神戸の青果市場に勤務し鳥取に戻ってくる。 現在、太田酒造場の杜氏。 鳥取県若桜町で生まれる。 もともと家が農家で、米作りや果樹栽培を手伝いながら育つ。鳥取に戻ってきて太田酒造場に入社するも、当時は自社で醸造していない状態(桶買い:委託醸造)で、よその蔵で造ったお酒を辨天娘として販売しており、ル-ト営業を担当した。 2002年に当時の社長から醸造を再開して「自分のところで造った酒が飲みたい」と相談され杜氏になることを決意。酒造指導の上原先生の最後の弟子として教わり、現在に至る。「何年杜氏をしても酒造りは分からない、難しい部分がある」と謙虚な性格。口ぐせは「米がもったいない」