二世古酒造のルーツは大正5年にまでさかのぼりますが、現在の蔵が本格的に再出発したのは昭和46年のこと。戦前に林業や木炭業を営んでいた創業家が、「酒蔵もやってみたい」という想いを胸に、縁あってこの地の蔵を引き継ぎました。 当時、北海道産の酒米は存在せず、良質な米を求めて岩手や秋田から取り寄せ、南部や越後の杜氏を招いて酒造りを行っていました。しかし、「本当の地酒とは何か」を模索し続けた末に、地元の米・水・人による酒造りへと大きく舵を切ります。 北海道独自の酒米品種の開発も進み、約30年前にはようやく酒米らしい原型が誕生。厳しい自然環境の中での試行錯誤の積み重ねが、今の二世古酒造の力強い味わいを支えています。
北海道のほぼ中央、札幌と函館の中間に位置する倶知安町(くっちゃん)。ニセコエリアの一角にある二世古酒造は、「蝦夷富士」とも称される羊蹄山の麓にあります。この地域は全国でも有数の豪雪地帯で、冬に積もった雪は春にかけて伏流水となり、仕込み水として使われます。まろやかな軟水は、やさしくキレのある味わいを育む重要な要素です。 倶知安町はスキーリゾートとしても知られ、国内外から観光客が訪れます。町のカントリーサインにはスキー帽をかぶったじゃがいもが描かれるなど、特産の男爵いもも有名です。寒暖差の大きな気候は農作物の旨みを引き出し、酒米の育成にも最適。冷涼で四季の移ろいがはっきりとした土地で、自然と共に酒造りが営まれています。
二世古酒造では、6人ほどの少数精鋭の蔵人たちが、作業のほとんどを手作業で行っています。それぞれが自分の担当だけにとどまらず、全体の流れを見ながら役割を越えて助け合い、一体感を持って仕込みに取り組んでいます。 作業は朝8時から夕方17時までに完結するスタイルを採用。無理のない労働時間の中でも集中力を保ち、高品質な酒を目指しています。中でも原料処理や麹造りといった要の工程には、特に神経を注ぎます。 自然の力に委ねる酒造りは、気候や温度のわずかな変化が味わいに現れます。その“ゆらぎ”を大切に、毎年その年ならではの味を追い求め、微生物と真摯に向き合いながら酒造りを続けています。
「酒造りはチームプレイ」——この言葉は、二世古酒造の蔵の中で自然と根づいている価値観です。6人という少人数体制の中では、誰か一人の負担が増えたり、連携がうまくいかなければ、すぐに酒の出来に影響が出てしまいます。だからこそ、蔵人全員が自分の持ち場だけでなく、周囲の様子を見ながら柔軟に動き、声を掛け合いながら日々の酒造りに取り組んでいます。それぞれが経験を積んだベテランでありながら、互いを尊重し合う姿勢が、この蔵の風土を作っているのです。 蔵元・水口歩氏は、以前はホームセンターで働いていたという異色の経歴の持ち主。接客や売り場づくりの経験を通して培った「消費者の目線」を、ラベルの提案や商品開発にも活かしています。チームで磨き上げる酒造りの中に、新しい視点が加わることで、二世古酒造の未来がさらに広がっていきます。
二世古酒造が描く未来は、「今の酒造りをより良く継続すること」、そして「ニセコという土地とともに歩むこと」にあります。定番酒の仕込みを軸に、白麹を使った貴醸酒など、実験的な挑戦にも積極的に取り組み、品質を保ちながら新たな可能性を探っています。 また、将来的には新幹線が近くに停車する予定もあり、観光客がふらりと立ち寄れるような蔵の整備や体験型の仕組みづくりも構想中。地域に根ざし、開かれた蔵へと進化を目指しています。 外部資本に頼らず、自分たちの手で未来を切り拓く。ニセコの自然と人とのつながりを大切にしながら、二世古酒造はこれからも冒険心を忘れずに歩んでいきます。
日本酒造りの家業に生まれ育ち、ホ-ムセンタ-で10年間働き30歳でものづくりに憧れて家業に戻りました。日々、さまざまなチャレンジをしながら酒造りを楽しんでおります。
上の蔵元と同様です。
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